| 分校〜荒谷〜小原越(ゲベット) | |
| 4月24日にアルピの会のメンバーと「椋川周回コース開拓」として分校からスタートして荒谷を経て、江若国境尾根を通り旧鯖街道の小原越を下りるコースを歩きました。 当日は上天気に恵まれ、琵琶湖のむこうに伊吹山、北は上中町の町のむこうに日本海まで見渡すことができました。 |
|
![]() |
|
| P628から約300m北上した尾根からの東を見る。 山の麓の集落が椋川、笹ヶ谷集落。 尾根のむこうは琵琶湖。琵琶湖のむこうに見える左の山は伊吹山。 |
|
![]() |
|
| 上と同じ地点から北を見る。 画面やや左奥の平地が上中町。その先に日本海が見える。 |
|
![]() |
江若尾根は広くなったり、細くなったりして南北に連なる。 広いところはこんな感じ。 |
| 4月24日だが木々の新芽はまだ小さい。 木にからむツルだけが得意そうに青々と葉をひろげ、春の陽射しをいっぱい浴びていた。 |
![]() |
![]() |
殺風景な林床にトリカブトの緑だけが目立つ。さすがのシカもこの植物は食べられないようだ。 |
| 小原越の道は残念ながら見つけることができませんでした。京都へ鯖を届ける道であり、椋川にとっても魚や塩、炭などを運ぶ大切な道だったのです。 「小原越えの道を提灯かざして夜這いに行ったなぁ」と笑って話してくれるおじいさんもおられます。 小原谷の集落も三十数年前から廃村となり、朽ちかけた屋敷跡でしか当時をしのぶ手段はない。 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 里山というものの、かなりの急勾配をアルピの会の皆さんよく歩かれました。 事故もなく無事帰ることができて良かったです。 ちんねんとみーこもありがとう。 |
|
![]() |
|
| 小原越えは椋川では「河内越え」と呼ばれています。 小原谷の集落は、遙か昔は椋川ではなく、福井県側の河内と深いつながりがありました。小原谷の家は全て河内のお寺の檀家ということでそれがわかります。 どこへ行くにも炭をかついでいったそうで、中学生になると学校に行く時でも炭を2俵(30kg)かついでいたそうです。どうりで小原谷出身の女の人たちは皆、働き者。椋川の人たちと比べても、ひと味違うことがわかります。 |
|
(以下、7月3日加筆分) |
|
| 昨日「半夏生(ハゲシオ)」があり、夜から一杯飲みがありました。例によっていろいろ話を聞きましたが、河内に越える道を小原谷の人は「ゲベット」と呼んでおられました。 名前の由来はわかりませんでしたが、やはり熊川に行くときは女の人でも炭を2俵(30kg)背負って熊川に行き、生活に必要なものと物々交換していたようです。 小原谷側の斜面は比較的緩やかで、歩きやすかったそうです。それでも一カ所飛び越えないといけない場所があって、 「子どもの頃、菜種がたくさん採れた年があって『絞って油にしてあげる』と言われ、熊川まで菜種を持っていって油にしてもらって一升瓶に詰めてもらった。それを背負って帰っているとき、その飛び越えるところでちょっと足を滑らせて、背負ってた一緒瓶が割れてしまってのぉ、油でべたべたになって帰ってきたのをよく覚えてる」 と、としこさんが懐かしそうに話してくださいました。 また若狭側は「七曲がり」と呼んだかなりの急傾斜で、炭を背負っていると下り坂で膝が笑ってしまうほどだったそうです。(はるみさん) 先日の山行で発見できなかった道のことを尋ねると、「一番低いところでは越えてなかった」「山の中程の所だった」と話しておられました。「北山2」に書いてあるコースも違ってるかもしれませんね。 |
|