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2003.9.21

○今津西小学校・今津西地区合同運動会開催
9月21日、台風の影響で時々小雨がぱらつく、あいにくの天気になりましたが、今津西小学校・今津町西地区の合同運動会が行われました。
なにが合同かというと、西小学校は現在全校生徒14人。これだけの人数ではとても1日運動会をするほどの競技は出来ません。そこで今津町西地区の字別対抗の運動会を同時に開催して、プログラムを埋めているのです。プログラムの数で言うと、半々くらいなのですが、実際の競技時間で考えると、6割以上は大人たちの運動会といった感じです。
そして字別対抗なので、大人たちも結構必死で競技しています。椋川は負けず嫌いなのか、団結力があるというのか、事前に集まって競技の練習をするくらい熱心にやっています。
結果の方は運動会の花形、綱引き、リレーでは他のチームに敗れたものの、他の得点競技で点数を稼いでいたので、2年ぶりに見事総合優勝しました。

さてこの合同運動会、昔はどうだったのかというと、つい20年くらい前まではごく普通の運動会で、字別対抗の競技も、綱引きとリレーくらいだったそうです。それが児童の急激な減少のために、徐々に今のような形の運動会に変わっていったのです。昼休みに小学校の体育館に行ったときにそれを表しているものを見つけました。
それは今津西小の毎年の卒業生の数を、字別に色分けしてグラフにしたものでした。
それを見ると、昭和初期から42年頃まで、毎年30〜45人卒業(内、椋川地区卒業は10〜15人)していたのですが、42年以降一気に右肩下がりの棒グラフになって、年号が平成になる頃には卒業生が5人前後まで落ち込み、平成以降は卒業生0の年も数回あるほどでした。
昭和42年というのは象徴的で、美浜に原子力発電所ができて、そこから万博の会場に電気を送るための送電線を椋川に通した年なのです。この年から若者たちは椋川を出ていく流れができしまったのです。

さてこの棒グラフがまた右肩上がりに増えて、運動会のプログラムから大人たちの競技が無くなっていく時代はやってくるのでしょうか?それとも運動会そのものが無くなってしまう日がやってくるのでしょうか?